星の数ほど

自分語り癖オタクの備忘録

葵咲本紀の感想、テーマなどの考察

 

 

兵庫千秋楽、本当にお疲れ様でした。舞台に乗ったキャストも、裏で支えたスタッフも、関わった人全ての願いが届いていることを祈るばかりです。

私の観劇はもう終わって、あとは配信を待つのみになりました。葵咲のように、観終わった後もいろいろ考えられる作品は好きです。

今回は、後から思いついた感想と、自分なりに考えたテーマなどをまとめてみました。

大千秋楽、お疲れ様でした!配信とディレイ見た感想や考察を追記しました。章立てしたものは(追記)、細かいところはこの色で書いています。

 

 

 

 

 

 

葵咲本紀のテーマについて

 

メインテーマ:夢

 物語を通してまんべんなく散っていた、夢という言葉。さらに冒頭から終盤にかけて、たびたび繰り返された壮大な曲は、おそらく篭手切江が歌ってたDREAM!(略)のアレンジ。

一番分かりやすいのは終盤、刀である先輩に、刀剣男士達が手を添える場面。歌詞でいうと「夢は見るもの 夢は語るもの」あたりから。このメロディがオープニングからエンディングまで結構差し込まれてるので、メインテーマではないかなと思った。 

 

 

篭手切江、信康、秀忠、家康の夢は、願望や野望・目標ともいえるもの。

篭手切江の夢は、輝くすていじに立つこと。人を笑顔にしたい!と歌っていた。

信康が身分を隠して秀忠と語り合う夢。互いに違う立場ながらも、泰平の世を築くという夢は共通している。そしてそれは父・家康の見ている夢と同じ。

 

御手杵と秀康の夢は寝てる時の夢と同じ、幻想ともいえるもの。

御手杵の夢は、炎に焼かれた自身のおぼろげな記憶。

秀康の夢は、冒頭、家康に命じられて信康が切腹する、一つの歴史。くだらぬ夢だと切り捨てる。→おそらく、秀康が「信康が切腹させられて死んだ」と思ってることの表れ。兄がどのように死んだのかを想像して見た夢だったのでは。だから直後に瑠璃色の空のBGM、君は夢の中。

 

 

そして、先輩の夢。 

終盤、階段上の先輩に光が差す場面。 

 

先輩「てんかは、ゆめか」

篭手「はい、夢です」

 

このセリフ、先輩は初めて自分の意志で、任意の刀剣男士に向かって喋った......と思う。初めて刀剣男士に意思疎通を図った、だから縁ある篭手切江以外の男士にも先輩の姿が見えていたのではないか。→うーん、間違ってる。先輩が宿る刀に刀剣男士が触れたから見えるようになったって感じだった。直後に階段上の先輩が見えて男士が狼狽えてたから。

 

先輩は「天下を取りたい思い」に感応しているようにみえる。しかし、秀康は兄を切腹させた父を恨んでいるだけで、「天下を取れなかったことはどうでもいい」と何度も言っている。

 

刀剣男士には自身の物語や由縁が必要になるわけだけど、先輩は「天下を取りたい」という思いで物語を紡ぎかけていたんじゃないか? しかし篭手切江に夢だ=実現できるものではない、幻想だといわれたことでその思いは消え、実体を得ずにどこかへ去っていった。

むすはじで、意思のある時間遡行軍三振りが「土方とともに生き、死ぬ」という物語を得た、と巴形は語っていた。それと同じようなことが先輩に起こりかけていたといってもいい。言ってしまえば、意志を持って顕現しようとしていた悪しき刀を、篭手切江は叶わないことだと葬り去った。

でも完全に悪霊退散!したわけではなく、また夢を見ましょうと送り出していたので、いつかちゃんと顕現されることを願うのみです。

 

篭手切江の歌、秀康の歌、最後の先輩浄化作戦の歌、全部タイトルに夢って入ってたら震える。アルバム楽しみにしてます。(気が早すぎる)

 

 

 

サブテーマ:家族

もしサブテーマを設けるなら、家族かなと思う。村正派の歌が印象強いし、葵咲本紀は徳川家の人間模様や関係性を深く描いていた作品だと感じる。

徳川家の息子達はみんな天下取りに消極的で、家康としてはちょっと残念だっただろうと思う。信康も秀忠も自分に器量はないと言うし、秀康も天下取りはどうでもいいと言ってしまってる。貞愛も養子に出してるし、本人は神主としての人生を受け入れてるから後継者争いとは無関係。天下分け目といわれる関ヶ原の戦い直前、家康は気を揉んでいたことだろう。 

 

 

貞愛は「血のつながりだけが家族じゃない」といった。養子に出された自分を受け入れ育ててくれた永見家への感謝の言葉にも取れるし、実際に永見家との絆を強く感じているからこそ、このセリフが出てくるのだろう。

その心は「私たちはファミリー」という村正の言葉にもスライドできる。見た目もまるで違う、刀種も性格も違う村正と蜻蛉切を束ねているのは、刀派の名前。負傷した村正を気遣う蜻蛉切。村正は、ファミリーだと思うがゆえに蜻蛉切に迷惑をかけたくないと思い、刀派の名を一人で背負い込もうとする。互いを思いやる気持ちが、時にぶつかり合いすれ違いながらも、絆は深まっていく。

 

 

葵の花びらに、ひとつとして同じものはない。家康の回想で信康がいったセリフ。初めて聞いたときは、むすはじの石の歌と同じような意味かと思ったが、どうも違う気がする。

葵の花びら=徳川家の息子たちに同じものはいない、という意味? もしくは泰平の世を築くためのアプローチは様々だということ? このセリフ、咀嚼できずに困ってる。明らかに含蓄あるのに何も読み解けない......しっくりこない.....。信康は知識として言ってるんだろうけど、家康がそれをどう受け取っているのかが知りたい。ただの親子水入らずの回想だったんだろうか。

 

  

 

 

三百年の子守唄からのつながり

 

 ①手

手が柔らかいのは、戦にあまり出ておらず実力不足だという暗喩。私も「綺麗な手やね」と言われて「あっこれ家事やってないって意味や」とビクビクすることがあるので、明石は嫌味的に使ってると感じる。

そもそも手が柔らかいというセリフは、みほとせで竹千代(信康)が「吾兵の手に比べて自分の手は柔らかい」と言ってたもの。手が柔らかい=未熟というイメージを、みほとせから葵咲に継いでいたことになる。

そして吾兵として生きている信康が蜻蛉切に手を差し伸べるのは、幼い頃のやり取りの反芻、懐古。蜻蛉切の反応が完全に親戚のおじさんのそれで微笑ましい。畑仕事に精を出し、時に刀を振るう信康の手は、さぞたくましくなっていたことだろう。

 

配信見て印象的だったのは、先輩臨終シーンの歌で

秀康:伸ばした手は 行き場失い 何ひとつ掴めないままだった

男士:伸ばすことをやめたら 何も掴めないまま 夢は終わる 淡く消える

という歌詞があったこと。 手を伸ばして夢を掴みとりたかった。でも伸ばし続けないと夢は終わってしまう。葵咲における手の表現は、メインテーマといえる夢とつながったものが多いなと思った。

 

 

 

 

②心

みほとせでにっかりは「無理をしすぎると心が壊れてしまう」と言った。これを継いだのが、明石の「相手を殺してもいい存在だと思わないと心が壊れる」というセリフ。無感情に時間遡行軍を殺せずに苦悩するあたりが、明石の人間臭さになっているんじゃないかと感じる。

信康の一件から、明らかに人の心を持った村正。彼は戦で物吉が死ぬのを嫌がり、石切丸や大倶利伽羅がいなくてさみしいという、繊細な心の持ち主になっていた。妖刀たる由縁から家康を嫌っていたのが、信康が死んだからはっきり嫌いだというのも、感情に揺れ動いてるなと思う。

 

  

 

③かざぐるま、瑠璃色の空

冒頭に村正が歌うかざぐるま。みほとせでは家康と信康の成長を見守ったこの歌が、葵咲では徳川の歴史が続いていくことを強く示唆しているように見える。そしてかざぐるまのごとく回る盆の上で、家族はすれ違う。まるで葵咲の物語を象徴するかのような表現だ。

そして劇中よく耳にする、瑠璃色の空。葵咲のメインビジュアルやパンフレット、ペンライトにあるような濃紺→橙の色が、瑠璃色の空の歌詞全体を示しているような気がしてならない。さらに「君はまだ夢の中」という歌詞もあるから、葵咲のメインテーマと強烈にリンクしているようにも感じられる。瑠璃色の空は、みほとせ・葵咲に共通するテーマ曲であり、徳川のメロディなのだと考えられる。

 

 

 

 

明石と鶴丸、疎外感の話

明石と鶴丸、葵咲の部隊から妙に浮いた雰囲気を醸す二振り。

明石は歴史改竄には厳しい目を向けているリアリストで、歴史上の人物に刀剣男士の存在がばれるリスクを誰よりも危惧している。一歩引いたところから物を見ている感じがする分、部隊からの疎外感もある。さらに、どこかに戻るとかまだここにいるとか、別に所属があるのではないかと匂わせるような発言をしていることも、外からやってきた印象を強めている。

鶴丸は、葵咲で隊長に任命され、その役割通りに作戦を立てたり仲間を指揮したりするため、特に疎外感は感じられない。しかし出陣前に審神者から密命を受けており、それにのっとった行動をしていることが想像できる。自分が検非違使の相手をするからと部隊を散らして一人になる。三日月を振り返る時も、彼は舞台上に一人でいる。物部の存在が明かされる場面は、誰に語りかけてるのかも分からない。(審神者かと思ったけど、会話がないのも気になる。)なんとなく単独行動が多い印象だが、怪しさは出づらい。そこも熟練平安刀の力なのか......?

新作あるならこの二振りには出てほしいところ。思わせぶりな態度だけとって出ないのはちょっと......考えられない。他男士の修行も気になるし、風呂敷ちゃんとたたんでほしい。

  

 

 

刀剣男士が侵される「力」とは

みほとせでは石切丸、葵咲では村正が侵された「力」。暴走して大怪我を負った村正をたしなめた蜻蛉切の発言から、これが感情に支配されたが故に起こるものだというのは、想像に難くない。

石切丸の場合は「戦を絶やしたい」=この時代から戦をなくしたいという、歴史改変にもつながりかねない思い。

村正の場合は「信康の仇」=検非違使さえいなければ信康は助かっていたかもしれないのに、という私怨。

なまじ人間のような心をもってしまったがために、「歴史を自分の思うがままに改変したい」という感情が生まれ、己が刀に宿る危険な力となったと考えられる。

秀康が時間遡行軍側に取り込まれた時も、刀剣男士である二振りが危険な力に侵された時も、「持ち主の感情に刀が感応した」と言えるだろう。人間である歴史キャストと付喪神である刀剣男士が完全に隔絶されることなく、共通の現象に見舞われるというのも、なかなか面白いと思う。

 

 

 

(追記) 葵咲本紀が組み込まれるのは、三百年初演か再演か?

大千秋楽後、twitterで「三百年と葵咲本紀は時間軸が違う説」というのを見かけたことと、カテコで蜻蛉さんが「どこかの時間軸」って言葉を使ったのが気になりすぎて、自分なりにいろいろと考えていくうちに、疑問が浮かんできた。

 

葵咲本紀は、三百年初演と再演の両方に組み込まれているのか?

三百年初演と再演は、同じ歴史の流れなのか?

 

なんでこんなことを考えたのかというと、三百年・家康臨終シーンの信康の身なりが、初演と再演で違っていたから。初演は若いままで持っている笠も普通、再演は老けていて笠はボロボロ。この変更は意図的だとしか考えられない。

 

家康臨終シーンの信康が「亡くなった年齢で登場する」のだとしたら、時系列は

初演:検非違使戦→信康は若くして死去→家康臨終シーンで若く登場

再演:検非違使戦→石切丸による介抱で信康が生き延び(葵咲本紀)、老いて死去→家康臨終シーンで老いて登場

と考えるのが一番自然なのではないかと思う。「三百年と葵咲は時間軸が違う説」だと、初演・再演・葵咲で三本の時間軸ができてしまうことになるから、それはあまりにも複雑すぎないか?と思ってる。

 

というわけで、現時点での私の考えは「葵咲本紀は三百年再演にのみ組み込まれる話で、三百年初演とは違う歴史の流れである」というもの。

 

ただ、この考えも完璧なものではなくて、

・葵咲本紀に直接関わっていない、にっかり青江の似顔絵が書かれた冊子である(三百年の冊子と酷似している)

・三百年では徳川家康の一生を書いたのでそれなりの年数がある、でも葵咲本紀はたった一日。そんな短い話をタイトルつけて残すのか?

という疑問は残ってる。もしかすると、初演=三百年の子守唄、再演+葵咲=全体で葵咲本紀というタイトル......なのかもしれない。いずれにせよ、推測の域を出ない。

 

 

 

演劇的進化 

 

これまでも新たな挑戦を繰り返してきたイメージのある刀ミュ。葵咲では、東宝系など他作品でみられる技法を取り入れることが増えたと感じた。

御手杵が見た炎の夢ではためく布、秀康が時間遡行軍に腕を取られ歌う絵画的な場面、先輩のコンテンポラリーな身体表現。アナログかつ視覚を刺激するような演出が増え、より本格的な舞台作品になったと思う。

ミュージカルナンバーとして印象的な曲が増えたのも葵咲本紀の特徴だと思う。例えば出陣曲。個人的に、シングルカットされるには少し変わった曲調だと思う。村正派が入ったパート割やMVの想像がつかない。けど出陣の意気込みを語る劇中歌としてはかっこいいと思う。(もしかするとシングルになった途端に、聞いたことないパートが増えたりするのかもしれない。)

他の曲だと、刀剣乱舞の最初の方で、刀剣男士vs時間遡行軍のような構図になったのはウエストサイドストーリーみたいだと思った。殺陣をしながら歌うのには驚いたし、間奏の終わりかけあたりで、メロディに剣戟の音をはめていたのが心地よかった。

 

 

歌が内なる思いの表象であるならば、信康が秀忠相手に嬉々として語っていたシーンも、歌があってもよかったんじゃないかと思う。あの場面はセリフだけだとちょっと長く感じる。野伏せりが現れ作物を奪い!ってところはちょっと派手にやったら結構な見物になったんじゃないか。(そこに高カロリー突っ込むのも違うのかもしれないけど。)

どうしても「ストレートの中に歌が挿入されたミュージカル」って感じがする刀ミュ。これはこれで面白いから、ひとつの形として全然ありだとは思う。ただ個人的には、次々々々々回作くらいに全編音楽だらけのフルミュージカルとかをやったら、めっちゃ面白いと思う。ほぼ歌ってる、みたいな刀ミュも見てみたい。歴史キャストも含め全員、ありとあらゆる面での高スペックが要求されるから、厳しい面もたくさんあるかもしれない。

 

   

  

 

まとめ 歴史ロマンとして紡がれる刀ミュの物語

 

いろいろ考えていて、刀ミュシリーズは歴史ロマン物なのだな、という結論に行き着いた。刀ミュは「もし、あの歴史上の人物が、こんな行動をしていたら?」というIFを折り重ねて、物語を作っていってるんだと感じた。いくつもの説が存在する日本史というジャンルだからこそ、幅広い創作が可能になり、さまざまな物語が生み出される。その土壌となるのが、刀剣乱舞という懐の深い世界だからこそ、より複雑で面白い舞台が作り上げられるのではないかと思った。

 

 

劇場で2回見れてよかった~! もし1回だけだったらこんなにいろいろ考えられなかった。葵咲の大千秋楽の配信も、たくさん行けることになった歌合も楽しみにしています。

三日月の暗躍の話を書くのは、つはものとか覚えてなさすぎて無理だった。おさらい必要だよなぁ。歌合も、刀剣の神様がどうとかシリアスで難しそうなので、勉強しようかと思います。